1.小田原城とその周辺を歩く    
   小田原駅    
   
小田原駅
  
 小田原駅は、大正9年(1920年)10月に国府津を起点とする熱海線の終着駅として開業し、昭和2年(1927年)には小田原急行鉄道新宿駅~当駅間が開通しました。昭和9年(1934年)国鉄東海道本線駅として開業。昭和10年(1935年)大雄山鉄道、箱根登山鉄道が当駅に乗り入れ、神奈川県西部の一大ターミナル駅となり、箱根観光の拠点にもなりました。
 平成15年(2003年)3月橋上駅舎が完成し、同年12月東西を結ぶ自由通路「アークロード」が完成、橋上駅の利便性が更に高まりました。現在、1日約15万人の利用客があります。
 駅構内には巨大な小田原提灯、片岡鶴太郎氏の壁画、農政家二宮金次郎の銅像、西口駅前には北条早雲公の銅像があります。
 
   
二宮金次郎像
   
北条早雲公銅像
     
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   幸田口門跡    
   
幸田口門跡
 
 古くは「蓮池門」または「蓮池四門」と呼ばれ、北条氏時代の最初の大手門と伝えられています。永禄4年(1561年)越後の上杉謙信、永禄12年(1569年)甲斐の武田信玄が小田原城を攻撃した時、この門外まで押し寄せたが破ることはできませんでした。
 門の名称が幸田口門と改まったのは、元禄10年(1697年)小田原城曲輪名の改称によるもので、この辺りに北条氏の家臣幸田氏の屋敷があり、江戸時代の地名として上幸田・下幸田・藪幸田などがあったことに由来します。 
 
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   時の鐘    
   
時の鐘

 この鐘楼は、元浜手口にありました。この鐘がいつごろ置かれたのか明らかではないが、貞享3年(1686年)のお引渡し書に記載されていることから、300年以上前から「時の鐘」として撞かれていたと伝えられています。第2次大戦中軍資として供出されましたが、昭和28年(1953年)小田原寺院団により再建されました。
 またこの場所は、寛永10年(1633年)稲葉氏によって進められた小田原城近世化工事の一端として、大手門がこの地に移されました。門の型式は桝形門で、冠木門と渡櫓門があり、更に馬出しというほかの門にはない広場がありました。小田原城の正門として威容を見せていました。  
 
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   馬出門    
   
馬出門

 馬出門は寛永9年(1632年)に造られたましが、その後寛文12年(1672年)に門と土塀の位置が奥に移され枡形が造られて、その形のまま幕末まで維持されました。明治5年(1872年)廃城方針により取り壊されました。
現在の門は、寛文年間(1672年)当時の姿を復元し、平成21年(2009年)に完成しました。門の形式は桝形門で高麗門、武者走り、土塀で構成されています。
 桜の季節には、天守閣、常盤木門、銅門と城濠を一望できる絶好の撮影ポイントです。 
 
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   銅門    
   
銅門

 銅門は小田原城近世化工事の一環として寛永10年頃(1633年頃)築かれました。元禄16年(1703年)の大地震により壊滅的被害を受けましたが、宝永2年(1705年)復興されました。二の丸の表門であり、常盤木門、大手門と並び重要な門でありました。形式は桝形門で、渡櫓門、埋み型内仕切門、武者走り、土塀から成り立っています。
 門扉の飾り金具に銅金物を使用したことから、「銅(あかがね)門」と呼称されました。
 現在の門は、平成9年(1997年)に宝永年間の姿を復元し完成しました。  
 
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   常盤木門    
   
常盤木門

 昭和46年(1971年)、宝永年間の姿を外観復元しました。本丸の正門として格調高く守りも堅固な門が造られました。
 門名の由来は、城中の巨松になぞらえ、永遠に若々しい城であることを祈願して名付けたと伝えられています。
 門の形式は桝形門で、渡櫓門と多聞櫓で成り立っています。本丸内の館は将軍の宿泊所として利用されたので、軒丸瓦は徳川家の紋章「三つ葉葵」が付けられていました。  
 
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   天守閣    
   
天守閣
 
 江戸時代たびたび大地震による被害を受けましたが、宝永3年(1706年)に建てられた天守閣は、幕末まで維持されていました。 しかし、明治初期の廃城方針により解体されました。昭和35年(1960年)、宝永天守閣を外観復元しました。
 3層4階の天守閣に続き櫓を付した複合式天守閣です。内部は、小田原の歴史や小田原城に関する資料が展示されています(有料)。
 最上階からは太平洋や石垣山一夜城跡など、素晴らしい眺望が楽しめます。

 
 
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   報徳二宮神社    
   
報徳二宮神社

 祭神は、二宮尊徳翁。
 明治27年(1894年)二宮尊徳翁の教えを慕う伊勢、三河、遠江、駿河、甲斐、相模の報徳社の創意により、翁をご祭神として生誕地である小田原の城郭の一角に神社が創建されました。明治42年(1909年)本殿・幣殿の新築、拝殿の改築など神苑を拡大し、現在の景観が整いました。
 拝殿の礎石は、天保の大飢饉の際、 尊徳翁が命を賭して城内の米蔵を開いたので米が人々の手に渡り、小田原の領民が餓死者を出さずにすんだという、その米蔵の礎石が用いられています。
 境内には、戦時中の供出を免除されて残された一体の翁の少年時代の銅像や四高弟の一人・福住正兄の頌徳碑などがあります。  
 
   
少年時代の二宮金次郎
 
晩年の二宮尊徳
 
福住正兄頌徳碑
     
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