10. 源頼朝挙兵の地と相模灘眺望の散策   
 小田原駅東口バス乗り場    


小田原駅東口バス乗り場

  城下町、宿場町として栄えた小田原の中心に位置する小田原駅。 その東口のバス乗り場から、土、日、祝日に運行されている小田原回遊バス「うめまる号」に乗って、石垣山一夜城へ。
石垣山一夜城までは、パスで約20分です。

 添乗しているガイドから、今昔の小田原の名所、旧跡の話が聞けます。 小田原の街中を抜けて、一夜城城址公園に向かう途中の車窓からは『小田原合戦』時に細川忠興が陣取った「富士山砦」が見えます。

 
 
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一夜城址公園    
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一夜城址公園


一夜城南曲輪の石垣
 
 関白豊臣秀吉が天正18年(1590年)の小田原合戦の際に築いた陣城で、徳川家康の家臣松平家忠の記した「家忠日記」に「石かけの御城」とあることから「石垣山城」と呼ばれています。
 
 一夜城伝説 ː 実際には約80日で築いたとされるが、一夜城と言われる所以は「面向きの松の枝ども切りすかしければ、小田原勢肝をつぶし、こはかの関白は天狗か神か、かやうに一夜の中に見事なる館出来けるぞ」 (『北条記』)」 という一夜城伝説が生まれました。

小田原北条氏が降伏するきっかけとなった、お城です。





 一夜城址には各曲輪に石垣が残っていますが、ここ、南曲輪で見られるように、「野面積み」と呼ばれる加工されていない、自然石を組み合わせて積まれた石垣です。 400年以上を経て、今なお往時がしのばれます。 

 
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佐奈田霊社へのハイキングコース    
 
佐奈田霊社へ

 佐奈田霊社へ向かうハイキングコースの道標です。
ここから約3キロ先です。








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益田農道へ    
 
益田農道へ


益田農道記念碑


みかん畑にそって


撮り鉄スポット

  橋を渡って、かつての益田農場があった辺りを歩いていきます。 益田農場は三井財閥育ての親と言われる「益田孝」(鈍翁) が作った農場でした。 石垣山を中心とする広大な土地で、みかん、桃、柿、梨、茶の栽培や蚕、牛などを飼育して、二次産業として加工品を市場に出荷していました。









 「農道完成記念の碑」です。
益田農道土地改良組合が建てたとあります。
周囲に益田農場の面影はありません。










 温州ミカンだけでなく、レモンや他の柑橘類も栽培されています。
5月にミカンの白い花の咲く頃は、その香りに癒されます。













 石橋あたりで、東海道線と新幹線の車両通過写真を撮るにの良いポイントのひとつです。
 
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石橋    

石橋

日向ぼっこするサル

 米神の街佐奈田霊社へ行く途中、振り返ると晴れた日には遠く房総の海まで見えます。 道端には、シャッターチャンスを待っている、撮り鉄ファンが構えてます。









 天気の良い日にはサルも日向ぼっこに出てきます。


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佐奈田霊社    

与一塚


佐奈田霊社

 階段を上がると、左側に塚が見えます。新編相模国風土記稿によりますと「石階四十二段を登り、丘上に老杉樹あり・・・これを与一塚と呼ぶ」と記されています。江戸時代になり、与一の活躍を知った稲葉正則の家臣田辺権太夫信吉が建て祀ったと記されています。治承4年(1180)以仁王の遺命を受けて平家討伐の挙兵をしたところです。相模の名族三浦党の子、佐奈田与一義忠も参陣し、豪雄俣野五郎と戦い組討となったが与一が上になり、五郎を討とうとしたが短刀が血で固まり手間取り、駆け付けた敵のために25歳の命をうしなったと云われています。その与一を祭神とする佐奈田霊社が祀られました。文三堂とならび神奈川県指定史跡となっています。
 

 与一が上になり。俣野五郎を組み伏せた際に「いずれが与一か」の問いに痰が詰まって返答できず、首を討たれたという伝承から 咳、喉 の神様として
信仰を集めています。
 
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ねじり畑    

ねじり畑
  
 佐奈田与一義忠討死の地(ねじり畑)の碑
「治承4年(1180)8月23日、佐奈田与一義忠は敵の俣野五郎景久を組み伏せたが、かけつけた敵の長尾新六に首を切られ、この地で討死したと伝えられる」 とある。

 与一の怨念で作物や木の根がねじれてしまうという伝説があり、この辺りは岩盤が剥き出しの状態で作物の根が地中まで張れず、ねじれてしまうので「ねじり畑」の名称がついた。
 
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石橋山古戦場    

石橋山古戦場

石橋山古戦場案内図

 治承4年(1180) 8月23日、源頼朝が旗揚げしたが平家軍に敗れた古戦場。
頼朝は以仁王の令旨を奉じて8月17日に伊豆の目代・山木兼隆を殺し、平家追討の軍事行動を起こして北条時政、土肥実平ら300名を率いて東進したが、大庭景親 3000名の軍勢に押され、此処石橋山で合戦となり惨敗した。
箱根経由で真鶴に逃れ、船で千葉に上陸し関東地方制圧の出発点とした。
 
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漁港の駅 TOTOCO     

漁港の駅 TOTOCO 

 ゴール地点です。 2019年に「漁港の駅 TOTOCO小田原」として開業しました。
鮮魚、活魚及び水産加工品などの水産物の販売や飲食を核としています。
2階、3階の「展望テラス」からの眺めは一見の価値があります。

JR早川駅、小田原漁港は歩いて10分程です。
 
 
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