0.小田原城址公園内 基本コース    
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   馬出門    
   
馬出門

 馬出門は寛永9年(1632年)に造られたましが、その後寛文12年(1672年)に門と土塀の位置が奥に移され桝形が造られて、その形のまま幕末まで維持されました。明治5年(1872年)廃城方針により取り壊されました。
 現在の門は、寛文年間(1672年)当時の姿を復元し、平成21年(2009年)に完成しました。門の形式は桝形門で高麗門、武者走り、土塀で構成されています。
 桜の季節には、天守閣、常盤木門、銅門と城濠を一望できる絶好の撮影ポイントです。 
 
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   銅門    
   
銅門

 銅門は小田原城近世化工事の一環として寛永10年頃(1633年頃)築かれました。元禄16年(1703年)の大地震により壊滅的被害を受けましたが、宝永2年(1705年)復興されました。二の丸の表門であり、常盤木門、大手門と並び重要な門でありました。形式は桝形門で、渡櫓門、埋み型内仕切門、武者走り、土塀から成り立っています。
 門扉の飾り金具に銅金物を使用したことから、「銅(あかがね)門」と呼称されました。
 現在の門は、平成9年(1997年)に宝永年間の姿を復元し完成しました。  
 
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   常盤木門    
   
常盤木門

 昭和46年(1971年)、宝永年間の姿を外観復元しました。本丸の正門として格調高く守りも堅固な門が造られました。
 門名の由来は、城中の巨松(おおまつ)になぞらえ、永遠に若々しい城であることを祈願して名付けたと伝えられています。
 門の形式は桝形門で、渡櫓門と多聞櫓で成り立っています。本丸内の館は将軍の宿泊所として利用されたので、軒丸瓦は徳川家の紋章「三つ葉葵」が付けられていました。  
 
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   天守閣    
   
天守閣
 
 江戸時代たびたび大地震による被害を受けましたが、宝永3年(1706年)に建てられた天守閣は、幕末まで維持されていました。 しかし、明治初期の廃城方針により解体されました。
昭和35年(1960年)、宝永天守閣を外観復元しました。
 3層4階の天守閣に続き櫓を付した複合式天守閣です。 内部は、小田原の歴史や小田原城に関する資料が展示されています(有料)。
 最上階からは太平洋や石垣山一夜城跡など、素晴らしい眺望が楽しめます。

 
 
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