3.梅の里と曽我兄弟の足跡を巡る |
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中河原梅林 | ||||||
中河原梅林 |
曽我三梅林の中で、最も古い梅林です。 江戸時代にこの梅林の近くの街道に梅の木を植えたのが曽我梅林の始まりと伝えられております。 この梅林の中を流れる砂留多川は御殿場線を跨ぐ天井川となっております。 |
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瑞雲寺 | ||||||
瑞雲寺 |
龍珠山瑞雲寺 曹洞宗 【本 尊】 十一面観世音菩薩 【開 創】 明応元年(1492年) 【開 山】 相模国津久井郡大井山功雲寺五世仁忠継儀 【開 基】 相州黒岩城主本多信親 【寺 宝】 石仏群(市重文) 木魁(市天然記念樹)市内最大の多幹型、 樹高16m 【その他】 本堂は関東大震災で倒壊、昭和2年(1932年)再 建。観梅の季節、紅白の梅花に囲まれた本堂は 撮影スポットとして知られております。 |
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尾崎一雄文学碑 | ||||||
尾崎一雄文学碑 |
この碑は小田原で最初の文化勲章受章者尾崎一雄を記念し、昭和56年(1981年)に建立された。 碑には作品、「虫のいろいろ」の一説が刻まれている。 尾崎一雄(明治32年~昭和58年 1899年‐1983年) 作品の舞台は生まれ育った下曽我を中心とするものが多く、昭和の代表的な私小説作家として独自の境地を開いた。 昭和12年「暢気眼鏡」で第5回芥川賞を受賞。 昭和37年「まぼろしの記」で野間文芸賞を受賞。 昭和39年 日本芸術会員に選任。 昭和53年 文化勲章を受章。
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宗我神社 | ||||||
宗我神社 |
旧曽我郷六か村の総鎮守 長元元年(1028年)大和国高市郡蘇我郷宗我都比古神社の神主だった宗我保慶がこの地に祖先の宗我都比古命の墓を訪ね、鎮祭し、当社を創起した。 戦国時代以後、歴代の領主は小田原城の日少宮祭所(守護神)として定めた。 社名は当初「宗我都比古神社」でしたが、「宗我大明神」「小澤大明神」となり、明治2年に【宗我神社】となりました。 本殿は関東大震災で破損したため、昭和4年再建。 9月末の祭礼には、湘南随一といわれている豪華な深彫り彫刻で飾られた山車が5基並ぶ景観は壮観です。 |
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法輪寺 | ||||||
法輪寺 |
盤谷山法輪寺 臨済宗建長寺末 【本 尊】 釈迦如来 【開 創】 延文3年(1358年) 【寺 宝】 薬師三尊像(市重文) 澄禅上人一針一拝二十五条の袈裟 澄禅上人夢中感得の拘留孫仏の舎利 本堂に向かって左側にある瑠璃光殿の薬師三尊仏は元小澤明神(現宗我神社)の本地仏でありましたが、明治初期の神仏分離令により、当寺に移管されました。 末寺に祐信山崇泉寺という曽我兄弟や曽我祐信の菩提寺がありましたが、焼失したため当寺に合併し、曽我氏の菩提寺になりました。 |
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城前寺 | ||||||
城前寺 |
稲荷山祐信院城前寺 浄土宗増上寺末 【本 尊】 阿弥陀如来 【開 基】 曽我祐信 【寺 宝】 曽我兄弟木像他 建久4年(1193)、兄弟が父の仇討を果たした後、叔父の宇佐美禅師がこの地に庵を結び兄弟の菩提を弔ったのが、この寺の始まりと伝えられる。 本堂北側に曽我十郎・五郎、養父曽我祐信・実母満江御前の4基の五輪塔があります。 その他に曽我兄弟遺跡碑(坪内逍遥筆)、高浜虚子句碑などがあります。 仇討の日にあたる5月28日には、故事にならい傘を焼いて兄弟の霊を慰める「法要」が催されます。 |
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六本松跡 | ||||||
六本松跡 |
曽我山の峠道で、嘗て六本の古松があった。鎌倉時代、この近在の各豪族の居館と鎌倉を結ぶ足柄道、鎌倉道、大山道(中村道)が交差する重要な峠であったといわれています。 現在、古松はありませんが、松尾芭蕉の句碑と狐山人(尾崎八束)筆の六本松碑があります。 東に丹沢連峰・湘南海岸、西に富士山・箱根山塊・伊豆まで広がる景観をお楽しみください。 近くには、十郎祐成と虎御前の二人が腰掛けて別れを惜しんだといわれる「忍石」や鎌倉時代の関東における基本的な様式を備えた屈指の「曽我祐信宝篋印塔」(市重文)があります。 |
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二宮尊徳遺髪塚 | ||||||
二宮尊徳遺髪塚 |
昭和13年、川久保与三郎氏が建立。 尊徳の母よしの実家は旧曽我別所村組頭の川久保太兵衛宅でした。小田原藩主大久保忠真の命令により、尊徳は「報徳仕法」を実践し、小田原藩の分家栃木県桜町領宇津家の財政復興を成し遂げました。その時、尊徳に仕えて働いていた従兄弟の民次郎は一家創立の資金と用材を尊徳から与えられて帰郷し、家を興しました。 尊徳の死後、遺髪を持ち帰った民次郎の遺言により、その孫与三郎氏がこの遺髪塚を建立しました。 |
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満江御前の墓 | ||||||
満江御前の墓 |
安元2年(1176年)満江御前の夫河津祐泰は、工藤祐経の郎党の手にかかり非業の死を遂げた。義父伊東祐親の勧めにより、満江御前は長男一万丸(5才)次男箱王丸(3才)を連れて曽我祐信と再婚し、別所の下屋敷で暮らした。 建久4年(1193年)5月28日十郎祐成・五郎時致が念願の仇討を果たした後は、大御堂に篭り念仏三昧に暮らしたと伝えられている。 建久7年(1196年)仏門に帰依し、正治元年(1199年)5月28日歿。 |
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法蓮寺 | ||||||
法蓮寺 |
千葉山法蓮寺 日蓮宗 【本 尊】 一塔両尊四士 釈迦牟二仏・多宝物の二仏 【開 創】 慶長19年(1614年) 【開 山】 大乗院日相大徳 当山には安永3年(1774年)酒匂の漁夫によって海中より引き揚げられ出現した毘沙門天像があり、開運の霊験あらたかとして現毘沙門堂が建てられた。 その他に妙見菩薩・大黒天・鬼子母神等が安置されている。 2月には門前の紅白のしだれ梅が美しく咲き揃います。 |
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別所梅林・原梅林 | ||||||
別所梅林 |
別所梅林は曽我三梅林の中で最大規模の梅林です。梅まつりには、いろいろなイベントが開催されます。 梅林の真ん中を流れる川は剣沢川です。上流に「弓張りの滝」と呼ばれている小滝があります。(徒歩約30分) 別所梅林と隣り合わせに原梅林があります。 原梅林では毎年2月11日に流鏑馬が開催されます。 白梅の中を颯爽と走る馬上の妙技をご覧ください。 |
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