11.おだわら文学散歩 | ||||||
JR早川駅 | ||||||
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港に一番近いJRの駅として、又『SUICA』の初期のコマーシャルの駅として知られています。明治20年(1887)新橋~国府津駅まで開設された鉄道は大正5年に熱海線として建設を着工し、小田原駅が大正9年(1920)、この早川駅は大正11年12月に 開設営業を開始した。木造創りのレトロな味わいの 駅で、隣の根府川駅と並んで、木造の駅として 昨年から、注目を浴びています。 潮の香りを感じながら・・出発です。 |
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鈴木貫介歌碑 | ||||||
鈴木貫介歌碑 |
港の入口にひっそりと歌碑があります。この辺りは氏が子供の頃から親しんだ砂浜があり、夏には海亀の産卵も見られました。又、秋には近くで、採れた稲の干し場に使われたりしてなんとも牧歌的な情景でした。 |
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かめや旅舎跡 | ||||||
かめや旅舎跡 |
現代文学を代表する作家谷崎潤一郎が滞在した旅館で、当時使用していたアーク灯の外側が残っています。 丸く削って石垣にした石は当時と変わっていません。 旅舎の前の道には、トロッコ・軽便鉄道が運行されていました。 ガイドさんの古い写真を見ながら説明を聞くと当時の情景が浮かびます。 |
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川崎長太郎歌碑(真福寺) | ||||||
川崎長太郎句碑(真福寺) |
吉行淳之介が選出した俳句が書かれています。 川崎長太郎もこの早川観音まで散歩に来て、『渋茶とお菓子』を食べて、お昼ご飯は天丼が至福の散歩コースだったそうです。 春来たる 海辺のみちで 鳥のまね |
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真福寺境内の枝垂れ桜
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真福寺境内の枝垂れ桜 春の桜の頃には、目の前の枝垂れ桜が散策の目を楽しませてくれます。 |
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早川観音 | ||||||
早川観音 |
隣接する真福寺もちです。坂東五番札所で、縁日は毎月17日に行われ、近郷の信者が多数訪れます。 本地仏は『聖観音像』の立像で作風は藤原時代の後期といわれていますが定かでわありまません。ご開帳は五十年に一度で、次回は2034年になります。 正面右側入口には、霊験あらたかな『びんずる尊者』が鎮座し、お参りの方々をお迎えしています。 |
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福田正夫詩碑 (久翁寺境内) | ||||||
福田正夫詩碑 (久翁寺境内) |
久翁寺境内に氏のお墓があり、菩提寺であるこの寺に詩碑が建立されました。 本堂の右側には、樹齢数百年の『銀杏』の木と入口には、『那木(凪の木)』があります。 福田正夫氏の結婚式は、聖十字町教会でその時のエピソード等をまじえてガイドが話しさせていただきます。 |
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福田正夫の墓
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小田原文学館本館 | ||||||
小田原文学館本館 |
元宮内大臣の田中光顕の別邸を移築して使用をしています。館内は小田原に縁のある文学者の資料が展示され庭には、尾崎一雄館・北原白秋館があります。 田中光顕は幕末の志士で、坂本竜馬と同様に土佐藩を脱藩したが、明治維新後に政府の重鎮として活躍をした人です。 建築様式は『スペイン風』で三階のバルコニー付きと大変洒落た造りになっています。 |
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花岳競馬場跡 | ||||||
花岳競馬場跡 |
『花岳競馬場』は大正14年(1925)10月に開催され、昭和5年(1930)に閉鎖されるまで賑わっていました。 その様子を北原白秋は『祭の競馬』で情景を詩っています。 |
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竹林の道 | ||||||
竹林の道 |
左手に小田原城の天守閣を眺めながら進むと蜜柑畑と竹林が点在しています。白秋が愛した小田原の竹林。 近くでは『鶯・目白・ほととぎす』等の小鳥たちが澄んださえずりが楽しめます。 |
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からたちの花の道 | ||||||
からたちの花の道 |
♪からたちの花がさいたよ 白い白い花が咲いたたよ♪ 『からたちの花』の詩は白秋が3人で水之尾の道を散歩して、大正13年(1924)5月13日に創作されたとされています。 雑誌『女性』に発表された詩に、作曲家山田 耕筰がメロディーをつけています。山田耕筰とは、大正11年(1922)に雑誌『詩と音楽』を創刊するなどの親交があり、多くの歌曲を共作しています。尚、文部省唱歌で童謡として2007年に日本の歌百選に選出されています。 からたちの木の前でガイドがお話させていただきます。 |
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杉や松のトンネル | ||||||
杉や松のトンネル |
「青羊歯」白秋 「山ゆけば 照りつつ涼し 青羊歯の 淡き胞子も 夏ならんとす」 |
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水之尾の道 | ||||||
水之尾の道 |
『この道は実にいい丹沢大山と箱根の両方が見え・・丘窪の蜜柑畑などまるで野外劇場のように・・・』(白秋全集)白秋を訪ねた友人達ともよく歩いた道で絶景が楽しめます。 |
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『この道』『砂山』案内板 | ||||||
『この道』『砂山』案内板 |
水之尾の道で伊豆半島・箱根山・石垣山方面で相模湾も一望の素晴らしい眺めをご覧いただけます。自宅である白秋荘から歩いて、詩作の道でもありました。 『この道』は白秋が大正14年に樺太・北海道を周遊旅行し北海道に立ち寄り、帰郷した白秋はこの山路をあるき、相模湾を眺めていると子供の頃のことを思い出し創作した詩とのことです。 |
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伝肇寺 | ||||||
伝肇寺 |
『赤い鳥小鳥』童謡碑♪揺り籠の詩を カナリヤが歌ふよ ねんねんこ ねんねこ ねんねこよ♪ 白秋は生涯一度だけ家を伝肇寺境内に建てました。ここで二人の子供を授かり、一番 充実した時代を 送っていたと思います。境内には往時からある『萱の木と萱の木地蔵』が迎えてくれます。 作曲は成田為三氏です。 『赤い鳥小鳥』は、大正7年(1918)の詩で現在はこの幼稚園『みみずく幼稚園』の園歌になっています。 ♪赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実をたべた♪ |
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小田原文学館本館・別館白秋童謡館 | ||||||
小田原文学館本館 |
元宮内大臣の田中光顕の別邸を移築して使用しています。館内は小田原に縁のある文学者の資料が展示され庭には、尾崎一雄館・北原白秋館があります。 田中光顕は幕末の志士で、坂本竜馬と同様に土佐藩を脱藩したが、明治維新後に政府の重鎮として活躍をした人です。 建築様式は『スペイン風』で三階のバルコニー付きと大変洒落た造りになっています。 |
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『別館 白秋童謡館』 大正13年(1924)に田中光顕別邸として建造された純日本家屋で、柱・欄間・障子・硝子など大正のロマンを溢れる造りになっています。 今では、入手が難しい『ゆるぎ硝子』から見る庭はとても趣があります。 本館とこの別館は、国登録有形文化財に指定されています。 |
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