2.天下人秀吉の一夜城    
   入生田駅    
 
入生田駅

 入生田駅は、昭和10年(1935)10月に、箱根登山鉄道の駅として開業しました。現在は、小田急線が湯本駅までを運行し、箱根登山線としては湯本駅から強羅駅間を運行しています。箱根登山鉄道と小田急線が相互乗り入れしていた時は、広軌幅の線路を登山線が使用し、狭軌幅の線路を小田急線が使用していました。現在は、箱根登山鉄道の待避駅として、全国でも珍しい3本の線路が入生田駅構内に敷設されています。
 また、入生田駅は、枝垂れ桜の長興山 紹太寺の最寄り駅でもあります。
 
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  生命の星・地球博物館    
 
生命の星・地球博物館

 生命の星・地球博物館は、平成7年(1995)3月、県立博物館の自然部門が入生田に移転しました。常設展示室には動物・植物・恐竜やアンモナイトの化石なども展示しています。
 小田原ガイド協会も博物館とコラボレーションを図り、「ジオパーク」に向けた活動を行っています。「ジオパーク」は「地球」や「大地・地質」を表す「ジオ」(Geo)と、「公園」(Park)を合わせた造語です。
 
 
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   石丁場跡    
   
石曳道跡

 石曳道跡

 石曳道は石丁場から切り出した石を運び出すための道で、この遺構は畑の平に向かう分岐点付近で見られます。
 石曳道跡の両脇に「橇(そり)」の轍(わだち)の跡が見られます。急な斜面を、成形された約6トンから8トンほどの石を載せて、橇を使い沢に向かう道です。速度をコントロールするために、道は曲線にして角に石をぶつけて速度を落とし運搬をする仕組みです。牛・人力の動力を使う場合もあったそうです。夏場は草が茂り、少し見難くなっていますが、道の様子はわかります。付近の山の斜面には、切り出し途中の石が点在しています。
 
 
箕ケ窪橋下の石丁場跡 
 
箕ケ窪橋下の石丁場跡

 早川の石丁場は、平成17年(2005)広域農道の工事の際に発見され、周囲に数多くの遺構が確認されています。慶長8年(1603)から寛永13年(1636)にかけて江戸城改修に伴う天下普請で用いる石垣の石を切り出していました。
 石丁場とは、掘り出した石を城の石垣として使用できる状態に成形、運び出し、保管までの一連の作業場を指します。石材の岩質は「安山岩」で、その大きさは長さ2~3m、縦横1mほど、重さは7~8㌧です。石丁場保存の為に広域農道に箕ケ窪橋が架けられました。
 
   
石切絵図

 石切絵図 (小田原市所蔵)

 切り出した石を、一定の大きさに成形し、保管する場所の様子を描いています。
 大半の成形された石は、江戸城の石垣の『角石』として使用されています。
 
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  姫ノ水橋    
   
姫ノ水橋

 姫ノ水橋の名称の由来は、一説によると北条氏の姫君達の化粧用の良質の水が採れた沢と伝承されています。この先の町、早川の小字名です。 ここからは箱根外輪山、前期中央火口丘、後期中央火口丘と箱根火山の主要な火山地形が見えます。また、右手の方向には足柄平野と大磯丘陵などの地勢が一望できます。
 
   
姫ノ水橋から箱根山系を望む

 姫ノ水橋から箱根山系を望む

 石切丁場の「箕ケ窪橋」を過ぎて100mほどで、一気に雄大な景色が見られます。箱根外輪山の前期中央火口丘、双子山・駒ケ岳などの後期中央火口丘が一望に見られます。
 天気の日の眺望は、大湧谷の大崩も見られ、千利休がお茶を点じたといわれている「山の家」の旗の平も見られます。
 
   
姫ノ水橋から丹沢・曽我・大磯丘陵を望む

 姫ノ水橋から丹沢・曽我・大磯丘陵を望む

 後方の尖った山系は、丹沢山系で右から大山・塔ノ岳・蛭ケ岳となります。地球規模の『皺の部分』です。手前側は、大磯丘陵が見られ、広々とした足柄平野になります。相模の断層として、国府津・松田断層があり、北側に松田北断層となり、地球規模のスケールを観ることができます。
 
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石垣山一夜城址    
   
石垣山一夜城

 石垣山は、笠懸山・松山と呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が全国統一に向けて15万~16万人の大軍で、北条氏の小田原城を包囲し、この山に本陣として本格的な石垣の城を築き「陣城(じんじろ)」としました。
 箱根山から東側の城文化は、当時は西国のような高い石垣を積んだ築城の文化はなく、東西の城文化がこの地で見られます。築城開始は4月6日といわれ、完成は6月26日と言われています。秀吉は城が完成すると周りの樹木を一斉に伐採し、一夜で築城した様に演出したとの伝承から、後に「石垣山一夜城」と呼ばれるようになりました。
 平成29年(2017)4月、「続日本百名城」に選定されました。

   
一夜城YORIZUKA FARM

 一夜城YORIZUKA FARMとマルシェ

 平成23年11月5日にオープンしました。小田原市の農政課とのコラボレーションで、マルシェを併設して地域の農家の方々が自慢の野菜を販売しています。
 カフェ&レストランは、世界的なパティシェの鎧塚俊彦氏のお店です。敷地内には、地域農家の方の協力で、お店で使う野菜や果物を栽培しています。
 
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海蔵寺    
   

海蔵寺

 海蔵寺は、嘉吉元年(1441)創建の曹洞宗のお寺です。天和年間(1681~4)には38ヵ寺の末寺をもつ大寺院でした。開山は当時小田原を治めていた大森氏の一族・安叟宗楞禅師です。大森氏の歴代当主は、曹洞宗に対する信仰心が篤く、西相模に曹洞宗系の寺院を多く残しました。小田原では、久野の総世寺、板橋の香林寺、そしてここ海蔵寺の三ヵ寺を、曹洞宗小田原三山と称されています。 
 
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小田原漁港    
 
小田原漁港

 小田原漁港は昭和43年(1968)に完成した「掘り込み式」漁港で国内では珍しい形態です。
 相模湾は、駿河湾・富山湾と並んで日本3大深湾の一つで、魚種は1700~1800種類とまさに魚の宝庫と言えます。小田原の代表魚としてアジ、ブリ、サバ、カマス、ヒラメ、イシダイ、そしてサザエ、イセエビなどが水揚げされています。また漁港沿いの通り周辺に、新鮮な海鮮料理が食べられる飲食店や加工品販売店が軒を連ねています。
 
 
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   NPO法人 小田原ガイド協会
〒250-0014  小田原市城内3-22 TEL:0465-22-8800  FAX:0465-22-8814
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