6. 荻窪用水、板橋用水、小田原用水を訪ねて | ||||||||||||||||||||||
風祭駅 | ||||||||||||||||||||||
風祭駅 |
風祭りは、元々は稲に対する風除け祈願としての祭りですが、ここの風祭地区は、古くは水田が無く狩猟に依存していました。日本各地には狩猟の祭事として「いけにえ」を神に捧げる風祭神事がありました。 風祭は、昔から「風祭の芋田楽」で知られてきました。これは鎮守八幡神社の祭礼に里芋の田楽が配られるという神事です。風祭地区は稲作より遥かに古く芋栽培の生活があり、それに随伴する狩猟神事の風祭が、地名の起源と考えられます。(田代道彌氏) |
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萬松院 | ||||||||||||||||||||||
萬松院 |
萬松院は文禄元年(1592)創建で、開基は小田原北条氏滅亡後に小田原城主となった大久保忠世です。織田信長の命により、母の築山殿とともに遠州二俣城で切腹させられた家康の嫡男信康の霊を祀ったお寺です。この時、自刀強要の使者に立ったのが大久保忠世で、このことが一生の精神的負担となり、小田原の八幡山に若宮八幡宮を建立し、仏神両面にすがって追福を祈ったといわれています。 裏手の墓地の一角に城壁のような壁に囲まれた立派なお墓があります。これが家康の長男、松平信康の供養塔です。 |
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丸塚隧道 | ||||||||||||||||||||||
丸塚隧道 |
丸塚隧道の地は江戸時代大畑といって萬松院の寺領でした。海抜100mのここは湯本の取水堰から凡そ5.2kmで、荻窪用水が荻窪川になって山王川に合流する地点までのほぼ中間地点にあたります。丸塚隧道は長さ約110mです。 |
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山縣水道水源地 | ||||||||||||||||||||||
山縣水道水源地 |
明治の元勲山縣有朋が70歳の古稀を迎え、明治40年に板橋に別荘を建て古稀に因んで「古希庵」と名付けました。山縣公は庭園造りが趣味で、今にも残る名園には京都の無隣庵・東京目白の椿山荘、そして板槁の古希庵があり、この三園を合わせて山縣三名園と呼ばれています。庭園に必要なものは「水」、無隣庵には琵琶湖の疎水、椿山荘には湧水がありましたが、古希庵の近くには水がないので、江戸時代に造られた農業用水路「荻窪用水」から引くことを考えつきました。そして、ここに山縣水源池を造り、鋳鉄管を敷設して海抜93mのこの地から海抜33mの古希庵水まで全長1862mの水路を造りました。この水路系を山縣専用水道と呼びます。 |
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桜田隧道 | ||||||||||||||||||||||
桜田隧道 |
桜田隧道は、長さ約340mの荻窪用水開発時で一番長い隧道で、内部で左へ弓状に曲がって進みます。出入口はコンクリートで補強されていますが、内部は当時の素堀りのままです。高さ150cmの内部はおむすび形をしていて、最少の労力で最大の水量を通す掘り方になっています。 |
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板橋用水取水口 | ||||||||||||||||||||||
板橋用水取水口 |
荻窪用水(板橋用水取水口)」の標柱の脇は開渠で 「掘り割り溝」と呼ばれています。 石垣も使わず土だけで固められ、堤が水路保全の見回り土手になってます。 開発当初の用水路の大部分はこのようなものだったようです。 桜田隧道の出口で左側の水門は板橋用水の取水口です。 |
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荻窪川合流点 | ||||||||||||||||||||||
荻窪川合流点 |
荻窪用水は桜田隧道の3メートル先で板橋用水と分水し、森の中で荻窪川と合流した地点です。用水と川が合流して、かさを増し 音を立てて流れています。 |
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狩俣隧道からの開渠 | ||||||||||||||||||||||
狩俣隧道からの開渠 |
板橋用水は狩俣の尾根からは細い隧道を通ります。 曲折してから開渠となって現れます。 |
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板橋用水合流点 | ||||||||||||||||||||||
板橋用水合流点 |
小田原用水と板橋用水の合流点です。 内野邸(旧内野醤油さん)の裏側になります。 |
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箱根板橋駅 | ||||||||||||||||||||||
箱根板橋駅 |
昭和10年の箱根登山鉄道開業以来の駅舎と言われています。 小田原合戦時に細川忠興が陣を構えた富士山(ふじやま)砦がよく見えます。 |
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